- 過去・現在・未来を眺望して - 「JECの神学的輪郭とその座標軸を模索する」

山崎チャペル(一宮基督教研究所) 安黒 務

<序>
 ずっと以前、フレッド・スンベリ師に「KBIの二十五周年の記念論文」をお願いしましたとき、「過去のことはもういい、未来のことを考えよう!」と言われたことを思い出します。今回JEC宣教50周年を機会に“JECのルーツとアイデンティティ”を過去・現在・未来というマクロ的な視野から模索し、ひとつの試案として“JECの神学的輪郭とその座標軸”を描きだしてみたいと思います。

<1>過去:JECのルーツについて
 まずJECのルーツについて、歴史的におおまかにさかのぼっていくことにしましょう。JECのマザー・ミッションは、「スウェーデン・オレブロ・ミッション(現在は三教派合同により“インターアクト”)」です。スウェーデン・オレブロ・ミッションは、「スウェーデン・バプテスト系諸教会」を基盤としています。スウェーデン・バプテスト教会のルーツは英国の宗教改革であります「ピューリタン運動」の流れにあります。ピューリタン運動は16世紀のルターやカルヴァンの「宗教改革の流れ」の中のひとつにあたります。宗教改革は、ある意味で「古代の正統教理」を継承する運動であります。そして古代の正統教理は、「初代教会の信仰」に根差しており、「イエス・キリストの死・葬り・復活の事実と使徒たちの証言」を基盤にしています。
 このような理解に立ち、私なりにもう少し詳しく記述していきますと、第一に「初代教会」との関連におきましては、「聖書における創造や福音を神話とか創作とみる立場」とは異なり、JECは使徒たちの信じていた通りの使徒的キリスト教を割り引きもせず、水増しもせず、忠実に継承し、それを熱烈にあかしする群れです。第二に「古代教会」との関連におきましては、「主要教理を軽視して異端に走る群れ」とは異なり、JECとはあらゆるところで(公同性)、常に(古代性)、すべてによって(一致同意)信じられてきた正統信仰の根幹を基本とする群れです。三位一体論やキリストの神人二性一人格論などがそれにあたります。第三に「中世を背景にした宗教改革」との関連におきましては、JECは「聖書のみ(が神の唯一のことば)」「信仰義認(キリストの贖いのみによる罪の赦し)」「(法王を中心とするピラミッド型の構造ではなく)聖徒の交わりとしての教会(万人祭司)」の三大原理を忠実に継承する宗教改革の子孫です。第四に「宗教改革における四つの流れ(ルター派、カルヴァン派、アナバプテスト派、英国のプロテスタント)」の関連におきましては、JECは英国のプロテスタント(ピューリタン運動)につながりをもつ流れです。実際にバプテストの信仰告白のひとつであります第二ロンドン告白は、「ピューリタン神学の華」といわれますウェストミンスター信仰告白のうち、教会論のみを会衆制に変えたものと言われています。第五に「アルミニウス主義対カルヴァン主義の論争」の関連におきましては、JECは神は常に神学よりも大きいし、聖書は私たちの組織的成文化よりもずっと豊かで大きいという理解の下に両者を包摂する立場をとる群れです。スウェーデン・バプテスト系の流れはカルヴァン主義者を主としつつ、アルミニウス主義者をも包摂していると聞きます。第六に「信条主義」の関連におきましては、JECは簡易信条主義の立場をとっていますが、信条は常に誤りのない聖書に従属することを認識しつつ、バプテストの信仰告白をはじめとし、ウエストミンスター信仰告白などの諸信条の価値を認め、それらからも学ぶ群れです。第七に「正統主義神学」との関連におきましては、JECは宗教改革の遺産の体系化であります17世紀のプロテスタント正統主義と近代の福音派の神学との連続性を認識する群れです。KBIで使用されてきましたヘンリー・シーセンの「組織神学」や現在使用されていますミラード・エリクソンの「キリスト教教理入門」もそれらを継承しているものです。第八に「敬虔主義運動」との関連におきましては、JECは正しい教理は正しい生活実践を伴わなければならないと考える敬虔主義運動の体質を有する群れです。「十字架のメッセージ」もその霊的遺産のひとつです。第九に「自由教会(フリー・チャーチ)運動」との関連におきましては、JECは教会と国家とが明確に分離した社会において独立と自治を有する「目的を同じくする自発的共同体」としての群れです。「明確に新生したもののみに、浸礼を授け、そのメンバーで教会形成をする」バプテストの流れはその典型です。第十に「リベラリズム(自由主義神学)と福音主義」との関連におきましては、JECは「聖書を誤りのある歴史的・宗教的一文書」としてみるリベラリズムに危機感を抱いて1846年に結成された「聖書を神によって霊感された誤りのないことば」としてみる福音主義同盟の9項目より成る福音主義信仰にたつ群れです。オレブロ・ミッションはスウェーデン福音同盟に所属しており、世界福音同盟の一員でもあります。JECは日本福音同盟に加盟していませんが、同じ立場に立っていることに疑いの余地はありません。そして第十一に「世界宣教運動」との関連におきましては、JECは「世界宣教運動を非聖書的な方向に向けてきたWCC(世界キリスト教協議会)」に対抗して開催されました1974年の「ローザンヌ世界伝道会議」が明らかにしました「ローザンヌ誓約」の聖書的な「福音的信仰と宣教観とライフ・スタイル」を信奉するところの群れです。オレブロ・ミッションは、1978年の総会で「ローザンヌ誓約」を宣教活動の基本方針として採択しました。JECも同様の福音理解と宣教観の流れの中にあるといってよいでしょう。以上、キリスト教史2000年の流れの中に歴史的ルーツとの連続性をもつJECについてみてまいりました。(参考文献:宇田進「福音主義キリスト教と福音派」、他)

<2>現在:JECのアイデンティティについて
 次に、JECのアイデンティティについてみてまいりましょう。まず明らかなことは、ルーツとアイデンティティを切り離すことはできないということです。すでに記述してきました内容において“JECのアイデンティティ”の九割方が決定づけられていると思います。ここ50年間のJECの中心的流れは、我喜屋師に代表される「十字架と聖霊」のメッセージといえると思います。ただそれらは新しい、あるいは奇異なものではなく、すでに継承されてきました聖書の啓示とキリスト教神学の歴史の“絶大な霊的な遺産”の一領域、特に救済論の中の「聖化論」と聖霊論の中の「聖霊の賜物論」の領域に聖霊がその時代状況の中で解き明かしの光を注がれた時代であったといってよいでしょう。
 このメッセージの神学的輪郭を二つに分けて描きたいと思います。(参考資料:「シカゴ・コール」、他)

①「十字架」のメッセージ
 十字架のメッセージは、JECの第一世代の日本人教職者に共通するものと聞いています。第一世代の先生方が「“きよめ(危機的聖化)“を強調する塩屋の神学校」で学ばれたことも関係があると思います。スウェーデン・バプテストの流れは基本的に「聖化を一生涯の漸進的過程」において捉える理解です。それらの両者の折衷的理解として有名なウォッチマン・ニーの「キリスト者の標準」においてメッセージの輪郭が明確にされてきたようです。ウォッチマン・ニーの「キリスト者の標準」や「キリスト者の行程」は、ケズィック聖会におけるメッセージを資料源として芸術作品のように仕上げられたものであると言われています。「ケズィック」は英国のリゾート地の名前で、そこで毎年開催されている「ホーリネスを強調する」聖会の名前です。ただ、ケズック運動は組織とか教派ではなく、超教派の聖会であり、聖公会・バプテスト・長老派そして他の教派から多くの著名な説教者が奉仕しています。教理的には幅広い多様性があります。そしてこれらのメッセージの流れは、歴史的に「敬虔主義運動」に包括し位置づけることができると思います。(参考文献:ダナ・ロバーツ「ウォッチマン・ニーを理解する」、他)

②「聖霊」のメッセージ
 聖霊のメッセージとは、今世紀中期からの「聖霊カリスマ運動」からのものです。今世紀初頭からのペンテコステ運動は、スウェーデンにも波及し、スウェーデン・バプテスト同盟から分離した諸教会は、1937年にオレブロ・ミッションを設立しました。ですから、ペンテコステ的経験は宣教師の来日以前のオレブロ・ミッション諸教会にあったと思われます。また、ペンテコステ的経験が世界宣教へのエネルギーであったと思われます。日本福音教会における聖霊経験の広がりは、今世紀中期からのアメリカやカナダからの「聖霊カリスマのチーム」によってさかんなものとなっていきました。単なる経験のみではなく、聖霊と経験についてのバランスのとれた教えが特徴としてありました。聖公会のデニス・ベネットの「朝の九時」や「聖霊とあなた」はよく読まれました。オレブロ・ミッションもJECも、バプテスト的な背景とバランスのとれた伝統的教理を保ちつつ、ペンテコステ的経験にオープンであったという点において、「伝統的脈絡に立ちつつ、その神学的脈絡にそうかたちでペンテコステ的経験を理解し受容する」というカリスマ運動の特徴を明らかにしてきました。ただ聖霊運動は非常に多面的であり、簡潔に表現し位置づけることは困難です。いうなればすべての神学と実践の領域に関与しています。その神学的位置づけ等に関心のある方は、私のホームページにあります「JECアイデンティティ研究室」にある資料集をご覧ください。(参考文献:R.H.カルペッパー「カリスマ運動を考える」、他)

<3>未来:JEC神学の継承・深化・発展への輪郭
 ここでさらに次の50年を見渡してのJECの神学的輪郭のあり方を模索してみたいと思います。JECのあり方が、日本のキリスト教会の中において、ひとつの意味ある選択(オプション)として評価され、市民権を獲得しうるかたちに成熟していくためには、一体どのような神学的特質に特色づけられている必要があるのでしょうか。
 その第一は、真に聖書的、福音的であることです。“聖書的適格性”が絶えず自己吟味されていく必要があります。第二に、分派的、自己流であってはいけません。常に公教会的であることが大切です。あらゆるところで、常に、すべてによって信じられてきた“正統信仰の公同性”を反映するものでなければなりません。第三に、“現代的適応性”と四つに取り組むものでなければなりません。聖書の使信の高さ・深さ・広さを特定の文化言語と思惟様式において積極的に立証することを不可避の機能として担うことが必要です。オウム返しに語るのみではなく、新しく語らねばなりません。単に要約するのみでなく、新しく理解されなければならないのです。第四に、“自己革新性”を不可欠の属性としてもつものでなければなりません。改革された教会は常に改革され続けなければなりません。さらに「非批判的伝統主義」に対して、キリスト教有神論というパラダイムに立った批判的学問性が必要とされています。宗教者一般によく見受けられる主観、熱狂、独善のみでなく、客観的、学問的脈絡が求められているのです。(参考資料:宇田進「日本の福音主義神学に未来はあるか」、他)
 最後に、「これらの四つの特質を保ちつつ、JECのルーツとアイデンティティの脈絡にかなう神学のあり方を示すものにはどのようなものがあるのか。」と問わねばなりません。私はそれにかなう神学のひとつとして、“ミラード・J・エリクソンの神学著作集”を推薦できると思います。エリクソンは、私たちと同じルーツのスウェーデン・バプテスト系のクリスチャンです。彼はバプテストと福音主義の遺産に忠実でありつつ、上記の四つの特質を宿す神学者です。「牧会者のハートと学者の知性」をもつ神学者とも言われます。彼の著書は「組織神学の傑作」と評価され、現在のアメリカのキリスト教大学や神学校で教派を越えて「基準書」として用いられています。実際読んでみての感想は、「多くの神学書は概念的であり“電話帳”を読んでいるような印象をもちますが、エリクソンの著書は魂のこもった“讃美歌”を歌っているようなのです。」ただ紙面が限られていますので、ここで詳しい紹介はできません。このエリクソン著作集をテキストにしました講義レジュメと講義テープは、山崎チャペル内“一宮基督教研究所”にありますので、必要な方はご連絡ください。またインターネットを通して「電子メール講義」を毎日配信していますのでご利用ください。(参考文献:ミラード・J・エリクソン「キリスト教教理入門」、他)

<結び>
 以上、JECの過去・現在を振り返りつつ、次の50年間における神学のあり方をひとつの試案として模索してみました。私は来世紀におけるJECの神学のあり方・方向性というものを真剣に考慮していくとき、“ミラード・J・エリクソンの神学”を無視することはできないと思います。私の提案としてですが、「エリクソンの神学をJECの“神学的座標軸”と位置づけ、その下にJECの過去と現在の霊的遺産を適切に整理し、そして今後展開していくであろう種々のムーブメントを適切に関係づける」というかたちで、JECの流れの中のよきものを継承・深化・発展させていく軌道を敷設することができると思います。このような堅実な神学的作業を通してJECは、①明確な聖書的適格性・正統的公同性を有する“神学的ルーツ・アイデンティ”を自己確認する群れ、②現代的適応性・自己革新性という神学的な意味での“未来展開可能な枠組み”を形作っていく群れ、③宣教のパトス(情熱)と神学のロゴス(論理)の両輪を駆動させる群れ、そして④保守福音派とカリスマ福音派の“架け橋的な位置”においてユニークな貢献をなす群れ、としてたゆむことなく前進し続けると思います。